特別な趣が漂う羅州の名所との出会い。
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眉泉書院は、朝鮮時代の南人の領袖で名宰相である眉叟許穆(ホ・モク)と蔡済恭先生を奉る古風な書院である。書院は、祠堂、講堂、旧蔵板閣2棟、新蔵板閣、内三門、外三門、校直舍などからなる。
眉叟許穆は、朝鮮中期の文臣且つ学者で、仁祖時代の名宰相である梧里李元翼(イ・ウォンイク)の孫婿である。許穆は、才知に富んだ高潔な士人の典型だったという。仁穆王后の廃位に反対して官職から退き、鄭逑(チョン・グ)の門下で性理学と礼学などを学びながら学問を練磨し、鄭逑逝去後の仁祖反正(西人の乱)以後に故郷に戻った。許穆が弟子を育てた書院は、粛宗16年に建設されたもので、その3年後に王によって“眉泉書院”と命名された。
書院の講堂の裏手には、眉泉書院の由来となった“眉泉”という泉がある。許穆は幼少時代に、井戸を持たない村の人々が井戸を掘ろうとすらしなかったために、“自分が言った場所を掘ると水が出る”と言った。すると、本当にその場所から水が湧き、それ以来、大変な思いをする事はなくなったという。そうして、泉の名前は“眉泉”とされ、書院の名前の由来となった。